仏の教えをユーモラスに 京都・壬生寺で700年超す「壬生狂言」(朝日新聞、2025年)。
炮烙割りってお金払って観る価値あるのかは知りません。
全部わやにしたるという精神は吉本新喜劇に通じるものがあります。通じてるからどうなんだと言われても知りません。
愛宕山で土器飛ばすのと趣向は変わりないでしょう。人がやるか自分がやるか。
面白おかしく仏教の教えを広める。
まず人集め、蜘蛛の子1匹よってこないんじゃどうしようもない。
スペクタクル、飲食、女色、商売・金銭。
低俗な関心、情報の交換と収集源、つながる為のプラットフォーム、賭博と寺銭。
現代のお寺の方はずいぶん健全だと思います。喫茶とかバーとかで。
人口が減ってるので檀家も減る。
廃寺にするくらいなら税金逃れ、マネ論のインタフェースとして売却、人気があるとかないとか。
賃金はなかなかあがらないしAIが隆盛だし過剰にコンプラうるさいし排ガス規制もうるさいし残業時間もうるさいし米は高いし税金は高いし歌の歌詞は情報量過多で末世なので浄土に行きたい。
現代、救済を本義とした活動は可能なのかどうなのか。
やはり念仏、座禅とか。こころは形を求め、形はこころを進めます(通勤路の看板より)。
いきなり救済可能、ではありがたみないので救済1級とか救済初段とか免許制にすればいいのにと思いますね。
作法やしぐさ、調度にいちいち注文つける。で受験料が数万円。
目に見える救済の進度、ってどうでしょう。