2023/10/10

今日はブサイナ・ビント・タイムールの誕生日(1937年)。
以下引用(Wiki)

生涯
日本時代
1935年、神戸のダンスホールで当時19歳だった大山清子と知り合った49歳の前オマーン国王タイムール・ビン・ファイサルは、
日本への永住を決意して翌1936年に再び日本に渡航し、清子と結婚する。2人は神戸市葺合区中尾町の邸宅に住み、1937年にブサイナ(日本名:節子)が誕生する。
タイムールと清子は円満な生活を送っていたが、やがて清子は結核に罹患する。清子は入院中の病院からたびたび抜け出したため、タイムールは自身やブサイナに
うつることを恐れてブサイナを清子の母親に預け、自身はボンベイに移った。1939年11月に清子は病死する。
1940年5月に日本に戻ったタイムールは、清子の墓を建てた後にブサイナを連れて日本を出国した。
オマーン移住後
1940年に日本を離れてしばらくカラチに滞在した後、マスカットに移り、タイムールの第一夫人で国王サイード・ビン・タイムールの母の元に預けられた。
父であるタイムールは、日本を離れた以上、完全なオマーン人として育てるという方針をとったため、日本の影響は断ち切られた。さらに異母兄のサイードは、
ブサイナを王宮に軟禁した。
1970年、サイードが息子カーブースの起こした宮廷クーデターにより退位し、カーブースが即位すると軟禁が解かれ、1978年には母親の墓参りに日本を訪れた。
名前について
「ブサイナ」は、アラビア語で「美しい」という意味を持つ一般的な女性名である。「ビント」は「の娘」を意味し、「ビント・タイムール」で「タイムールの娘」となる。
「アル=サイード」は氏族名である。日本名は「節子」であり、日本国内では母である大山清子の墓誌名から「節子・アール・サイード」と名乗ったと考えられる。
その他
フジテレビにより、2016年に『奇跡体験!アンビリバボー 国境を越えた愛の物語 〜80年前のシンデレラ』(2月4日放映)で、
2018年に『ザ・ノンフィクション 私の姪はアラブの王女』(3月4日放映)で紹介された。

波乱万丈の生涯です。読み応えありましたね、良かったですね。