「将来の夢なんてない」学生の思いを変えたい デジタル教育に予算を(朝日新聞、2024年)。
個人的には適性があるかどうかをまず考えてしまいます。
好きな人は自分で勝手にやるだろうし、嫌いな人はスマホユーザで終わります。そういえば最近、やっと数台のPCを廃棄しました。今でも一応使えるものの引き取り手が居らず。
ただでも要らないそうです。勿体ない。
デジタル教育のための投資先って対環境、対組織、対教員、対生徒とかいろいろあるでしょう。
即効性なら生徒へのデジタルコンテンツの作り方の学習、になりそうですがデジタル適性以上に適性が問われるような気がします。どうなんでしょう。
デジタルで夢を作るとか叶えるってどうも弱いというか。
デジタル限定で狭めることないとかデジタルの消費に忙しくて供給まで気が回らないんじゃないかとか。
欲しい、したい、なりたい。
長続きする欲求が”なりたい”だとすると、人に会う為の場の設定と旅費交通費を出してやることが有効な気配、僻地なら。
そんな気配を感じるんですよ。ええ気配。
しらんけど。