2020/02/29


Aに対するB。BによってAに更に光が当たることはよくある話です。
砂糖に対する塩、ミカンに対するリンゴ、肉に対する魚、過去に対する未来、行為に対する来歴、とかです。
際立つ、とか、そうはいっても、とか、これもありかも、とか、ただし、とか、これがあってこそ、ですよね。
元々無精な質なので、セラーズやミリカンの原典を読まずに紹介者の解説本を読んで判った気になってますけど、
この辺の本を読むと不思議に勇気が湧いてきます。
なぜでしょうね。

便宜的である事に憚る所などないと思うし、便宜的である事に理由など不要です。
朝、足早に会社に向かう自分は、PCへのログイン時刻の打刻を9:00前にしたいと思っているからです。
昼、こういう感じでしゃべったり接したりしているのは、自分が〇〇だからです。
夜、足早に自宅に向かう自分は、スーパーの特売にありつきたいと思っているからです。
こういう生活をしているのは、自分が〇〇だからです。
なぜか、不思議な事に、勇気は湧いてきません。

考え方も便宜的なものです。人により、時と場合により、ひょっとして時代により。
どんな考え方をくみ上げるかは更に便宜的です。
ただ、求めているものは、あまりぶれていない気がします。無意識ですけどね。
その考え方や対し方で勇気が湧くかどうか、を無意識に判断している気がしますね。
夜、こもって一人でこんな事書いているのもコロナの影響でしょうから、コロナ様すごすぎです。